NPOオペラの記録室
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2004年度公演 『改訂版/蝶々さん』 再演
 

何がどう間違っていたのか?

マダマ・バタフライ」の改訂

NPOみんなのオペラ芸術総監督(改訂・部分邦訳/脚色・演出)オペラ歌手 岡村喬生

 1904年にスカラ座に於いて初演されたこの著名なオペラは、明治後期の日本(長崎)を舞台とした最高の舞台芸術として、世界中に日本を紹介し続けてくれた。しかし我々日本人にとり甚だ残念なことに、その原作には下記に述べる、明らかな日本誤認が存在する。
 プッチーニと彼の台本作者たちは、色々と手を尽くしたようであるが、世界に登場してまだ間もない日本を詳細に知ることは、情報の少ない当時としては不可能なことだった。
 それを恐らくは世界で始めて訂正・上演したのが「NPOみんなのオペラ」制作の改訂版「蝶々さん」−2003年版である。和洋の文明衝突がこの上演の副題であった。(なお、このオペラはプッチーニ自身が、スカラ座初演版、ブレーシャ再演版、ロンドン版、パリ版と改訂したが、現在、決定版として通常使用されているパリ・リコルデイ版で我々は上演した)。
この改訂は日本語による日本での上演であるが、いずれは原語・イタリア語でも改訂し国外でも上演したい。そして名作の持つ力で、正しい日本と明治の長崎、そして蝶々さんという日本女性の姿を通して、当時の日本人の外国文化との接し方を世界に広く、正しく伝えたい。
 なお、当時の状況を再現するために、当然日本語であったであろう部分は邦訳し、原作イタリア語での部分には、イタリア語を理解しない聴衆のために、原作にはない説明的な台詞を、その場に居る日本語を喋る役の出演者に喋らせて、劇の理解を容易にした。
 国外での上演では、当然なことながら、全て原語での上演になるが、改訂すべき誤りは原語・イタリア語で改訂するであろう。

2003年秋、東京に於いて


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(VS=NPOみんなのオペラ 改訂版「蝶々さん」ヴォーカルスコアー2003・4版)
日本の名前と習慣の誤認

第一幕
1)原作:”笑いこそは人生の花で陰謀や苦しみを解き放つ、と賢者オクナマは言った”−−と、すずきがピンカートンに歌う−−VS・14頁。
 註:オクナマという賢者名を日本人は知らない。又、イタリア語で、笑いはrisoで、微笑みはsorrisoであるが、risoは米も意味し、米を常食とする日本の賢者オクナマは言った、ということになったのだろう。従って、オクナマを外し、すずきが微笑みの一般的効用を説いて歌うことに改訂した。
 改訂:”旦那様は笑われる・微笑みこそは人生の花で、苦しみや陰謀を遠ざけます”

2)原作:F・B・ピンカートン 下に−−と、バタフライは3人の男性を見、ピンカートンを見付け、自分も跪き、傘を閉じ女友人達に、彼に跪くように合図する。女友達たちも傘を閉じ跪く。 −−VS・59頁
 註:跪くのは原作台本のト書きに指定されている。男尊女卑の当時の日本、そして今でも続く日本人の欧米崇拝から、アメリカ海軍軍人、そして領事に、初対面ながら敬意を払うのも無理からぬことだが、しかし跪く程卑屈になるのは不自然である。跪く演技と、下に、を止め、はじめまして、と言ってお辞儀をするだけのことに改めた。
 改訂:(蝶々さん)B・F・ピンカートン さん。==BとFを反対にしたのは、パリ版で原語がフランス語読みになってしまい、それがそのまま残ったから元に戻した。結婚式では官吏がピンカートンの名前を「ベンジャミン フランクリン」と正しく英語読みに読み上げている==。(女友達、蝶々さんの母・叔母、すずき)はじめまして。

3)原作:リ オットケ(ほとけ様たち?)−−と、蝶々さんが袂から仏像を出してピンカートンに見せる。−−VS・97頁。
 註:オットケという日本語は無い。袂に入れた女性の持ち物を、新婦が新郎に見せ、その中に、リ(複数を現すイタリア語)複数の仏像が入っている、ということは、日本であり得ない。蝶々さんは前夜教会に行き洗礼を受けて改宗したが、だからといって彼女が仏像を粗末に扱うとしたら、良家の娘の日本人として甚だ不自然である。
 改訂:机の上にすずきが小さな仏像を一個、箪笥の上から持ち出して、それを蝶々さんがピンカートンに、「ほとけ様」と見せる。

4)原作:長崎のオマーラ地方の出のバタフライ−−と、官吏が結婚式で読み上げる−−VS・104頁。
 註:地名の誤認。 
 改訂:長崎県大村の出身。

5)原作:おー、かーみ、おー、かーみ、−−と、蝶々さんの親戚や友人の芸者たちが彼女の成婚を祝う−−VS・110頁。
 註:成婚を祝い神に感謝するのは、唯一の神を信じる西欧キリスト教徒の発想である。日本では成婚を祝って神の名を讃えない。
 改訂:めでたーや、めでたーや。

6)原作:蝶々さーん、蝶々さーん!!−−と、蝶々さんの叔父、僧侶のぼんぞーが彼女の改宗をなじる−−VS・112頁
 註:さん、という敬称で、叔父が自分の姪をなじりはしない。
 改訂:蝶々よー、蝶々よー!!

7)原作:かみさるんだしーこ!−−と、ぼんぞーはバタフライを呪う−−VS・117頁。   
 註:恐らく、「かみさるんだしこ」とは「神、猿田彦」のことであろう。ならば、僧侶の呪いとして神道の言葉は不適当。なお、神道の猿田彦は道案内の神である。
 改訂:天罰よおりよ!

第二幕
8)原作:(ごろーが)、オマーラには宮殿もお持ちで−−と、やまどりを示してバタフライと領事に強調する。−−VS・214頁
 註:4)と同じ地名の間違い。
 改訂:近くには大きな御殿もお持ちです。

9)原作:(バタフライ)お前の母がお前を抱いて雨の日も風の日も、町に出て衣食を稼ぐために、人々に哀れみを乞い、震える手を差し延べて、”お聴き下さい−−−哀れな母の歌を、不幸な母にどうか哀れみを”と叫ぶことを(彼は哀れんで)いるのよ。酷い運命のバタフライは、前にしていたように芸者として歌うの。陽気で楽しいその歌は啜り泣きに終わるの。 −−VS・243頁 
 註:芸者は、町の中で雨の日も風の日も踊り歌い、哀れみを乞い生計を得るという、ここに歌われるように不名誉な商売ではない。又、芸者は子供を抱いて接客はしない。
 改訂:お前の母がお前のため、雨の日も風の日もお座敷に出て、飢えと寒さをしのぐため、どんな厭な客にも笑顔を作り、どんな酔っぱらいにもどんなことを強いられても、逆らえず逆らわず、この母はお前のために踊らねば、お前のためにお座敷で歌うの。楽しく陽気な歌は啜り泣きの歌なのよ!−−

神仏混同 
==明治政府はそれまでの神仏混在を改めて神道と仏教を分離した==
下記以外に既出の7)も神仏混同である。
第一幕
10)原作:すずきが夕べの祈りを、「イザギとイザナミ、サルンダシーコと神ーー」と、唱える−−VS・127頁
 註:イザギはいざなぎ、サルンダシーコは猿田彦であろうが、神道の祈りを仏前では唱えない。なお、すずきは長崎に於ける仏教では、主導的な日蓮宗徒とした。
 改訂:なむみょうほうれんげきょう。

第二幕
11)原作:すずきが「イザギとイザナミ、サルンダシーコと神−−」と祈り、ト書きにある「神々を喚起すべく鐘を鳴らし」て、「てんしょうだい様、バタフライを泣かせないで」と祈りを続ける。 −−VS・168/9頁
 註:イザギ(イザナギ?)とイザナミ、サルンダシ−コ(猿田彦?)と神、てんしょうだい様(あまてらすおおみかみ天照大神?)、と神道の祈りを、鐘(鈴=リンのことだろう)を鳴らし仏前で祈りはしない。
 改訂:(すずきが)なむみょうほうれげきょう、可哀想に−−鈴(リン)を鳴らし−−どうか、みほとけ様、蝶々さんを泣かせないで、決して。

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新楽器
 東京ニューシテイ管弦楽団音楽監督、内藤彰氏がプッチーニの意図した音を再現すべく考証・制作した下記・新楽器を本公演で使用させて頂く。衷心の感謝を捧げる。


イ)原作指定:Campanelli Giapponesi(日本の鐘・複数)。
 プッチーニの意図:第1幕の結婚式の直前にSulla scena(舞台上)で日本の風鈴(と考えたか否かは不詳だが)を鳴らし、オーケストラのフルート2本とハープが同調し和洋の結婚を表現。=VS102頁3段4・5小節。(103頁1段1ー3小節のフルート2本とハープが同調)。103頁2段2・3小節(日本の鐘のみ)。4段3ー5小節。(同頁同小節ー104頁1段1小節のフルート2本とハープが同調)。104頁2段4小節(結婚成立の瞬間、他が弱奏なのに日本の鐘だけが強奏。フルートとハープの西洋楽器はない)。105頁2段1−3小節。(同頁同小節ー5小節のフルートと2本とハープが同調)。
 新楽器:4種類の音程に調律された4個の風鈴。
ロ)原作指定:Tam Tam Grave/interno(舞台奥からの低いタムタム)=VS112頁1段3・5小節。
 プッチーニの意図:キリスト教に改宗した蝶々さんをなじりに来た僧侶、叔父のぼんぞーを表す寺の釣鐘が低く(Grave)彼方から、他の弱奏を突き抜けて聴こえる。最後の蝶々さん自決に合わせて鳴るTam Tam(sulla scena)−−舞台上のタムタム−−も同じ鐘だろうか。=VS361頁4段3小節3拍。
 新楽器:日本の寺の釣鐘の音(録音)。
ハ)原作指定:Tam Tam Giapponese(日本のタムタムーー寺の鐘/音程付き鉦ーキン)。 プッチーニの意図:第1幕最後の愛の2重唱でも他の楽器が弱奏なのにこの寺の鐘/音程付き鉦ーキン、だけが強奏で奏されて日本の存在をアピールする=VS158頁1段2小節1拍、2段2小節1拍、159頁1段2小節1拍、2段2小節1拍。そして164頁1段2小節、2段1・2・3−5小節。又、3幕前の間奏でピンカートンの長崎港入港を知り期待と不安で待つ蝶々さんの心理をCampane tubolari(教会の鐘)とTam Tam Giapponese(日本のタムタム==寺の鐘/音程付き鉦ーキン)が初めて仲良く同じメロデイーを奏することにより、彼女の心中でキリスト教と仏教の対立が解消される=VS305頁1段1−4小節、同4段3−6小節。
 新楽器:12音に調律した仏教を代表する鐘”鉦(キン)”。
ニ)原作指定:Campanella(鐘)=VS168頁4段2・3小節、169頁3段2・3小節。
 プッチーニの意図:仏教徒のすずきが第2幕冒頭で仏前に祈りながら鳴らす。
 新楽器:和室の仏壇上の小さな鐘”鈴(リン)”。

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 イ)について:これまではビブラホンで演奏されてきて、日本の音では全くなかった。 蝶々さんの日本式の家(当演出では和室)で鳴る Campanelli Giapponesiというプッチーニの指定であるから風鈴しかない、という内藤さんの考え以外には、他の楽器は思い浮かばない。しかしVSに見るように、幾つかの風鈴が長3度の音程で、しかも結婚式に合わせて全くタイミング良く自然に鳴るのも不自然だ。オーケストラ総譜の指定にはsulla scena=舞台上で、とあるから、日本の結婚式用の、西欧式音程を演奏できる日本の特殊楽器が舞台上にあり、それを、ごろー、書記、或いは官吏、又は舞台上に居る誰かが鳴らすと想像したのかもしれない。原作ではこの結婚式は神式か仏式か定かでなく、官吏が蝶々さんとピンカートンのごく大雑把な身元を読み上げ、二人は結婚したと証するだけの非常に短いものだが、音楽的な和洋の結びつきを、日本と西欧の楽器で式の中に設定したのだろう。オーケストラの西欧楽器がppから急にfになりすぐ又pに戻り、結婚の成立を官吏が読み上げ(原語:D'unirsi in matrimonio、邦訳:二人は夫婦に結ばれる)すぐにCampanelli Giapponesiだけがfで奏するのが面白い。
 ロ)について:これまではたいがい、中国の銅鑼で演奏されてきた。
 巨大な寺の釣鐘を舞台裏に持ち込むことは不可能なので、録音して流すことにした。ぼんぞー登場の時には音程の指定はない。蝶々さんの自刃に合わせて鳴る場所にはC音の指定があり、Tam Tamだけでgraveとは書かれて居ないが、舞台上と指定されている。
 ハ)について:これまではこの楽器は無視され演奏されなかった。
 プッチーニは西欧式音程を演奏できるタムタムが日本にあると考えたのだろう。でなければVSに記載したような音型を作曲するわけはない。実際にはそのようなものは存在しないので、内藤さんが苦労して、12音に調律した仏教を代表する鐘”鉦(キン)”を初めて創造したのである。なお、原作の、Campane/鐘の複数形、tubolari/筒状の、とは、NHKのど自慢の合格判定時に鳴る楽器(チャイム)で、西欧の教会の鐘の音はこれで鳴らされる。
 ニ)について:これまで、西欧ではでたらめに色々な楽器で代用されてきた。ときには教会の鐘を鳴らした。
 VSに見るように、鈴(リン)にもAの音程がついている。すずきが仏前での祈りの中でこれを打つとオーケストラと見事にハーモニーするが、それはその鈴が偶然にA音だったので起こった現象だったと想定したほうが、日本での現実には合っている。

 いずれにせよ、プッチーニは日本の楽器に西洋式音楽を当てはめたようである。


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